2011年12月3日土曜日

実績と目標

なにかをしようとするとき、必ず計画をたてる。

私生活でも、事業でもだれでもそうだろう。

それらを考えるとき、基となるものが「実績」と「目標」である。

当然「目標」があるから計画をたてるのであり、「実績」があるからそれをやれると考えるのである。

この「目標」は一見不可能にみえるくらいのものに設定する場合やそうでない場合がある。

実現可能なことが見えているものを目標というだろうか?
これは「通過地点」というべきだと考える。

患者さんと一緒に考える「目標」、これは「治癒すること」だと思う。
「ゴール」とも言うが、たやすいものではない。

しかし、明らかにその「ゴール」が見えているものについてははっきりとお伝えすべきであり、いつくらいにこうなる・・・ということをわれわれは患者さんに伝える必要がある。

なぜなら、患者さんはわれわれに「治すこと」を依頼されて、われわれがそれを「請け負った」からこそ治療が始まるのである。

それは「契約」といっても過言ではないのではなかろうか?

医療については、その契約内容が明確でないことが多い。

患者さんの要望は「治せ」という一点につきるのではないか?これほど明確なものはないと言えるほど単純なことだ。

では、それに応えられなかった場合、ほかの業種ならどうなるだろうか?

ものを作ることならならやりなおし・・・ということにならないだろうか?
飲食関係ならつくりなおし・・・・ではないか?

医療はそうならない。治らなければ患者さんがべつの医療機関、信頼できる医療者を探してまわられるのである。

完全治癒ができるのかどうか、できないなら症状が緩解する手段はどうなのか、われわれはできる限りの技術、知識を振り絞って患者さんのお役にたたなければならないと考える。

だからいつものことだが日々の精進が必要なのである。

術者はあくまでも患者さんのために存在する。これは事実である。

なぜなら世の中から「患者さん」がいなくなれば医療者はすべて職を失う。

考え方はいろいろあるだろうが、この事実は変わらない。

しかし、おそらく「患者さん」という「症状をもった方」がいなくなることはないだろう。

いつまでもわれわれの仕事は続いていく。これは「ゴール」が見えない作業に等しい。

つまりわれわれはいつまでも「通過地点」にいることになる。

患者さんが「ゴール」にたどり着ける日まで、一緒に寄り添い、その道を照らすことができる術者になりたいと思う。


徳見

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