七十四難に曰く、経に言う、
春は井を刺し、夏は榮を刺し、季夏は兪を刺し、秋は経を刺し、冬は合を刺すとは、
何の謂いぞや。
然り。
春井を刺すは、邪 肝に在り、夏榮を刺すは、邪 心に在り、季夏兪を刺すは、邪 脾に在り、
秋経を刺すは、邪 肺に在り、冬合を刺すは、邪 腎に在り。
その肝・心・脾・肺・腎においても春夏秋冬に繫がる者は、何ぞや。
然り。
五藏の一病に、輒ち五有るなり、たとえば肝病は、色青き者は肝なり、臊臭は肝なり、
酸を喜む者は肝なり、呼ることを喜む者は肝なり、泣を喜む者は肝なり、
その病衆多にして、尽く言うべからざるなり。
四時に数有りて、春夏秋冬に並繫する者なり。
鍼の要妙 秋毫に在るものなり。
春夏秋冬という季節の移り変わりを挙げて、病の移り変わりがあることを語るのも東洋医学の
特徴かもしれない。
漢詩が発達していた時代、そこには風雅な表現技法が求められたのだろうか。
科挙試験においても一言一句書き損じることなく解答し、そこにまた華美ですぐれた表現ができる
知性をもとめられていたという。
まわりくどい表現をして後世の人間に解読困難なものを残し、受け取り方や運用の仕方は
その人によるというものが果たして理論足りうるのだろうか?
「鍼の要妙 秋毫に在るものなり」となれば、結局自分でつきつめていくことが大切なのか?
と問いたくなってしまう。
徳見
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