七十三難に曰く。
諸々の井は、肌肉浅薄、気少なくして使うに足らざるなり、これを刺すこと如何。
然り。
諸々の井は、木なり。榮は火なり。火は、木の子、当に井を刺すべきものは、榮をもってこれを瀉す。
故に経に言う、補う者は以って瀉をなすべからず、瀉する者は以って補をなすべからずとは、
これをこれ謂うなり。
五行論で語ると、六十九難に代表されるように子母関係がよく言われる。
「子をして母を虚せしむ」というようにその経やその用いたい経穴をつかわなくても理論上代用が
きくといったものだが、要穴をきちんと覚え、それを運用することが必要となるだけでなく
要点はいかにその経穴を取穴できるかということになる。
結局、理論上合っているツボを選穴できたとしてもはたして正確に取穴できているかどうかは
別問題になる。
取穴が乱暴だったり、刺鍼手技が乱暴だったりするとダメということがあり、結局手技が
しっかりしていないと、理論上治るはずのものも治らないということになる。
それが東洋医学の再現性がないといわれるところの要因ではないかと思う。
そのことを治らない逃げ道にしていては東洋医学の発展は見込めない。
僕が偉そうに言うことでもないが。
徳見
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